Friday, April 27, 2007

人類の命運がかかっているが如く

9 時起床。 しばらく寝台で小説を読む。 朝食は珈琲とチョコレート。 昼食には納豆スパゲティを作った。 午後は三十分ほど仮眠を取ってから、百万遍へ。 京大での関西確率論セミナに参加。 R 大の、と言うことになるのだね、Y さんが昨日と同じタイトルで、 ランペルティ過程の滞在時間の極限定理について発表。 夕方終了してから三条に出て、 古本屋の 100 円均一コーナーで物色。 「偽のデュー警部」(P.ラヴゼイ/中村保男訳/ハヤカワ文庫)、 「悩み多き哲学者の災難」(G.ハラ/対馬妙訳/ハヤカワ文庫)、 「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」(B.ギル/岡真知子訳/角川文庫) を購入。 丁度、開店時間となったので祇園のバーに行き、 シャンパーニュを一杯いただく。 その後、軽食を取って帰った。

ゴールデン・ウィーク企画。 昨日、バーで読んだ "Every move must have a purpose" (B. Pandolfini / Hyperion)から、最終章を翻訳してみました。 翻訳権は出版社が持っているのだろうけれど、 一章くらいなら怒られないだろう。 もし評判の翻訳書を持っている方ならば、 比較してみるのもまた一興かと。残念ながら私自身は持っていない。

結論: チェス、最後のフロンティア

私のレッスンはこれで終了。駒は全てチェス盤の初期位置に並んで、次の新たな戦いを待っている。 トーナメントを迎える私の生徒のことを考えていたら、最後の言葉の準備ができたように思う。 私はいつも生徒にこう言っている。君の対局に人類の命運がかかっていると思え、と。 そして、それは本当にそうなのだ。

ただのチェスのゲームに人類の運命が?誰かの暇つぶしの結果がどうして他の人々の 一大事なのか?ナイトをそう動かしたからと言って何が変わる?

確かにそうだ。しかし、そうではない。一つの真実の正反対は、また一つの真実でもある。 チェスプレイヤーが盤面に取り組むとき、彼等は単にチェスを指しているのではない。 一つの世界を使いながら、もう一つの世界を学んでいるのだ。

チェスは我々が必要としていることを教えてくれる。 生き残るためには機敏でなければならない。 分析し、前を見通し、計算し、再考し、戦略を立て、評価し、順序を立て、自分の頭で論理を組み上げ、 答に集中して思考すること。このようなチェスの考え方が、文明を推し進めるのだ。

複雑にからみあった関係を理解するには、段階を踏んで問題を解かねばならない。 問題を各層に分けて考え、様々な要因を同時に評価しなければならない。 そして、ものごとがどのように働くのか、直感的に感じとる力を磨く訓練と経験を 積まねばならない。どんな答を探しているときでも、答までの最短距離をまっすぐに結べ。 それが「対角線を行く」ということだ。

チェスは次から次へと新たな挑戦を与えてくれるし、 難しいパズルに戸惑うことなく解くことが要求される。 またこれから二度と見ることがないかも知れない、しかし 追い求めるべきユニークなパターンを見せてもくれる。 チェスは勇気と想像力のパートナーになってくれるのだ。 チェスはただのゲームでもなければ、我々はただの ポーンでもない。チェスは起業的冒険であり、我々の一人一人が、J.P.モルガンなのだ。

貴方はこのレッスンをどこでも試すことができる。チェス盤の盤上から 役員会議の席上まで、駒のやりとりから株式のやりとりまで。貴方の行動は 貴方の信念に基いている。貴方の信念が、引き受ける責任の基礎を形づくる。 貴方がしていることの価値を信じなさい。そうすれば成功は確かだ。

君の努力に人類の命運がかかっているのだと君が考えるのなら、 それは本当にそうなのだ。