Thursday, September 14, 2006

世界で一番有名な数学者

午後は京大の時計台へ。 伊藤博士、と言うべきなのかも知れないが、 我々にとっては伊藤先生だろう、 伊藤清先生の ガウス賞 受賞の伝達式に出席。 国際数学連合の総裁 J. Ball 卿が直接、 伊藤先生にメダルを手渡すために来日する、と言うことだったので、 伊藤先生自らが会場に現れるのではないかとの噂だったが、 残念ながら、そうはいかなかったようだ。 ただ、Ball 卿が確かに直接手渡されたことは確かで、 そのときの模様を録画したヴィデオ映像が紹介されていた。

伝達式で秀逸だったのは、H 中先生のスピーチである。 その少し前に、文部科学省の偉い人が、 2000年以降に日本の数学研究のレヴェルが少し落ちているらしい、 ということをちらっと述べていたのだが、 それに対し、 「さきほど、そこの官僚(the bureaucrat) が日本の数学のレヴェルが落ちている、と言ったが、私はそうは思わない! 今の若者たちは、 数学と言うものをより広い意味で考えるようになっているだけだ! あと 20 年待っていろ!!」 と言い放ち、会場の数学者から拍手を受けていた。 その趣旨は、昔は数学者は一生その狭い分野の中で研究し、 一刻も早く世界の先端に立とうとしていたのだが、 今はそうではなく、分野の垣根を越えて興味のある問題にチャレンジし、 より広い意味で数学や科学をとらえるようになりつつあるのであって、 我々はむしろ、より豊かに、 より成熟したものに、なろうとしているのだ、と言う文脈だったようだ。 流石、伊達にフィールズ賞をとっていない。 しかし私が思うには、確かに 2000 年以降、 数学に限らず日本の科学研究のアクティヴィティはやや下がっていて、 それは勿論、大学の独立法人化のせいだ。 独立法人化が良いとか悪いとかではなくて、単に、 優秀かつ指導的な立場の科学者たちの膨大な研究時間が、 会議に吸い取られているからである。 だから、政府の人たちがちょっと考え直して、 これからはもっと数学を応援しよう、と思っていてくれるなら、 まあ、それは大変に結構なことではあり、 水を差すこともないんじゃないかな、とも思った。

伝達式の後は、記念講演が二つ。 経済畑の人による、 伊藤先生の業績が経済学に与えたインパクトについての概説と、 確率解析の F 先生による伊藤先生の数学的業績 (つまり全ての業績に他ならないが)の概説。 前者のタイトルは、「ウォール街で最も有名で最も尊敬されている日本人」 と言う感じだった。 これは事実だろうが、他にもヴァリエーションがある。 私が以前に最初に聞いたヴァージョンでは、 世界で最も有名な(現存する)数学者は伊藤先生だ、と言うもので、 「そんなことはないだろう」と言い返されると、 「だって、銀行員だって伊藤清の名前を知ってるんだぜ」 と答える一種のジョークである。これも事実ではあるが。

今日のセレモニー自体は、その意味の重さに関わらず、 大変に質素なものではあった。おそらく日本のマスコミとしては、 京都ローカルニュースで 30 秒くらい流れればいい方かな、という程度。 しかし、それでいいのだ。 我々は伊藤先生がこの世界を永久に変えたと言うことを知っているし、 伊藤先生が我々の世界の中に、 そして我々の中に生き続けることが既に最高の栄誉であり、 先生の一部が我々の中にあるように、 我々が触れた人々の中にも先生のかけらが伝えられ、 それは永遠に消えることはないのだ。

帰りに、一人で祇園のバーに寄って、 お祝いの意味でシャンパンを飲んで帰る。 一杯だけ飲んで帰ろうと思っていたのだが、 たまたまやってきたお客に、 「そこのお兄さんにもあげて」とおごってもらうことになり、 結局、一杯分しか払っていないのに、 シャンパンを三杯も(しかも全部違う種類で)飲むことになってしまった。 今日は皆が伊藤博士をお祝いしているのだろう。