Tuesday, June 12, 2007

2003 年の北野ホテルにて

今日は祖母の命日。 いつでも昨年のような気がするのだが、実際は四年になる。 父から携帯電話に連絡があったとき、私は神戸の北野ホテルにいた。 しばらく前から入院していて、 いつでもおかしくなかったこともあり、ほとんど何の感慨もなかった。 すぐに来てもらう用もないと言うので、予定通りにホテルで次の朝を迎えた。 北野ホテルはその朝食で有名である。 大きなテーブルにかかった白いクロスに、 色々な形のパンを盛った籠、 不必要に様々な種類を取り揃えたジャムの小皿、 冷たいクスクスや果物を入れた白い皿が一杯に並び、 珈琲とミルクが入ったポットから微かに湯気がたっていて、 オレンジジュースのグラスはほんのりと汗をかき、 近くのテーブルからは茹で卵を鉄製の専用の道具で割るコツンと言う音がする、 と言うような朝の食卓は、 世の中で最も平和で幸福な風景の一つだろうと思う。 近所から朝食のために来たらしい、 つい何度も盗み見てしまうほど綺麗な母娘が、 少し遠くのテーブルにいた。 びっくりするほど綺麗な女の子と、 この子がこんな風に年をとったらいいな、と思うような女性だった。 きっとそうなるのだろう。 明るい日差しの中、 中庭で午後の結婚式か披露宴のためらしい準備をしているのが見えた。 ホテルの女性スタッフたちが百合や白い薔薇の花を抱えて、 右往左往していた。

祖母は孫や親戚の中で私のことが特別に好きだったようだが、 私自身は滅多に実家に寄りつかないし、 会ったとしても祖母とはお互いにまるで接点もなく、 いつでも話すことが何も思いつかなかった。 話すこともないもので、たまに会うと、 祖母は私をこっそり呼びつけて一、二万円ほどの小遣いをくれた。 こっそり、と言っても祖母だけがそう思っているだけで、 もちろん家族は皆、良く知っているのである。 他にお金を使うところもないし、 それだけが楽しみなのだから、と母が言うので、 いつも私は(そっけない態度でだが)ありがとうと言って受け取っていた。 同時に母はいつも、 私の妹が祖母からの小遣いを受け取らない、と愚痴をこぼすのだった。 むつかしことを言わんと、にこにこもろたったらええのに、と。 妹は妹で何がしかの屈託があったのだろう。 祖母の晩年、妹がふとしたときに、 祖母が一番に偉いと思う、と私に言っていた。 三代の女三人が暮らしていると色々あるのだろうが、 祖母はけして悪いことを口にせず、常に機嫌が良かった。 そのあたりのことかも知れない。 それに本当に仕事が好きやね、とも言っていた。

祖母は田舎のそのまた田舎の小さな村から一生ほとんど出ず、 それどころか畑仕事以外はほとんど家からも出ず、 ただ着物を縫っていただけで暮らし、 朝食の茶粥と径山寺味噌と、 三時のインスタントコーヒーだけが贅沢だった。 私はずっと祖母のことを特に何とも思っていなかったが、 最近は、妹が言っていたことを少し考える。 うまく言えないが、徳のある人だったなと思う。 もう少し、一緒に話すようなことがあっても良かった。 祖母の晩年にもそう思い始めていたのに、 亡くなる少し前、 意識のあった最後に病院で会うことができたときにも私は、 何一つ言えなかった。