Sunday, December 16, 2007

文化の問題

いつもと同じく 8 時くらいに目が覚めた。寝床で読書など。 10 時前くらいに起き出して、珈琲とカステラの朝食。 ボトヴィニクの古典、「レニングラード=モスクワ 1941」 から棋譜を並べたり。 ボトヴィニクの解説は、 チェスが分かった気になれるので良い。 現代チェスの棋譜は、本当に良い手かどうか見せてみろ型の、 「変化を全部読んだ結果、良し」タイプの解説が多い。 私のような弱いアマチュアには読んで面白くない。 これはコンピュータ解析が原因の他には、 カスパロフ流の弊害じゃないかと思う。 一方カスパロフ自身は時々(特に誰かをけなすときには)、 はっとするようなチェス「論理」を書くところからして、 20世紀チェスと現代チェスの境目にあった人なのだろう。 例えば、2000 年サラエボでの Movsesian との対局の棋譜解説では、 こう書いている。(NIC より。強調は引用者による。)

「対局の後、モヴセシアンが言うには、 彼は ICC でこのラインを何度もファン=ウェリィ(Van Wely)相手に戦って、 この局面を研究したが、 ファン=ウェリィは一度もキャスリングしなかったそうだ。 私の見解では、これはチェスの文化の問題だ。 c3 をとってナイトが a4 に行けば、黒良し、だ。 黒は急な手を探す必要がない。 キャスリングして、ナイトを e5 において、 クイーンを c7 か a5 において…、色々な手がある。 時に、d5 地点か、または f5 も争う必要があるが、 この交換は大したことはない。 両者ともこのような攻撃に出ているときはしばしば、 ピースの質よりも量が大事なのだ。 私はモヴセシアンがこのことに気付かないのに驚いた…」

彼は計算も早くて独創的だが…しょせんカルチャーが違う、 とか、文化が違う、なんて言うのは、差別的と言うか、階級的と言うか、 あんまり良い気持ちはしない。 君とは育ちが違うよ、と言っているのだから、必殺技ではある。 そんなカルチャーを極東の地で味わおうとしている、 と言うことは、一種不可能への挑戦と言うか、まあ凄く贅沢なことなのだ。 チェスの話だけをしているのではないよ。

昼食はアーリオオーリオとオムレツ。 午後は年末のお買い物に出かける。 妹へのクリスマスプレゼントとして、 「ほぼ日手帳」を買った。 帰りに近所のワイン屋で注文していたものを受け取って、帰宅。 夕食には王将餃子を焼く。

さて今年ももう後二週間か。早いですねえ。