Saturday, March 15, 2008

禅とオートバイ

10 時起床。 珈琲を飲んで、洗濯機を回しつつ掃除機がけ。 昼食は御飯を炊いて、高野豆腐の卵とじと若芽の味噌汁。 一休みしてから烏丸の本屋に出かけ、何冊か本を買う。 「禅とオートバイ修理技術(上・下)」(R.M.パーシグ/五十嵐美克訳/ハヤカワ文庫)など。 昔のベストセラーが文庫になって再版されるのはしみじみする。 一種の懐古趣味だろう。 近所のワイン屋のオフィスを覗いて陣中見舞してから帰宅。 午後の後半からはゆっくり過す。 明日からはちょっとばかり忙しいので、今日は体を休めるため。 いかなごを頂いたので、夕食はいかなごの散らし寿司と白ワインを一杯。 夜はチェスプロブレムを考えたり、本を読んだり。

「禅とオートバイ…」は奇妙な本である。 著者は心を病んで、さらに電気ショック療法で記憶も失なった元大学教師、 息子と二人でオートバイの旅に出る。 旅の中で記憶と真実を求め、思索を続け、 自分への講義を繰り返して行く記録。 この本の原稿は 121 人の編集者に出版を断られた後、 122 人目の編集者が印税 3 千ドルの前払いをして出版されるや否や、 70年代後半アメリカの大ベストセラーになった。 日本では私が大学生だった 90 年頃に翻訳が出て、 一読、まったくなっちゃいないな、と思った記憶がある。 翻訳が出るのが遅くて時代と完全にずれてしまったことが大きいが、 当時は「ニュー・サイエンス」とか言うエセ科学もブームで、 それと同じ枠組みの中で捉えていたからかも知れない。 私が思うに、ニュー・アカデミズムはありえなくもないが、 ニュー・サイエンスはありえない。 それはさておき、 今、読み返してみると、名著かも知れないと思った。 科学や技術に対する態度は、 反科学技術と反「反科学技術」と反「反「反「反科学技術」」」の間を揺れ動き、 はっきりとはしないが、真剣に考えようとしていることは分かる。 哲学、思想、精神主義についても同じである。 しかし、 この本には何か心に訴える劇的なものが確かにある。それが価値だろう。

明日の夜は東京に泊まりますので、更新は不確定です。
明後日の17日(月)は現地で、朝から数理ファイナンスの一日セミナ。 これは次の水曜から京都で開催される毎年恒例の国際シンポジウムのサテライトにあたる。