Monday, July 23, 2007

perfectionist

眼鏡を新調してしばらくは、 眼鏡屋さんの言いつけを守ってできるだけ丁寧に扱おうとするのだが、 段々といい加減になってくる。 クリスチアナ・ブランドの「眼鏡の教訓」を思い出した。 ブランドは私の最も好きなミステリ作家の一人で、 その巧緻で複雑な設計とモダンなセンスに特徴がある。 私はこのエピソードを H.R.F. キーティングのエッセイで読んだ。 ブランドが小説家志望の人たちの集まりに招かれたときのこと、 おそらく良い文章を書く秘訣を訊ねられてのことだろう。 彼女はかけていた眼鏡を外すと、レンズを下にしてテーブルに置いて見せ、 こう言った。 「こうしたからと言って、 レンズには目に見えないほんの微かな傷がつくだけです。 けれども、これを何回かくり返すと、知らないうちにレンズが傷だらけになり、 眼鏡をかけたときに視界がぼやけてしまうのです」。

一箇所において、細部に気をつけること、細やかな心遣いを持つこと、 正確であることはそれほど難しくはないし、多分、誰にでもできる。 しかし、それを常に、どこでも、最後まで続けることは多分、誰にもできない。 いつかは、いや、おそらくはしょっちゅう、 レンズを下にして置いて、微かな傷をつけてしまう。 一つ一つは大したことではない。しかし結果は違う。 全ての適切な場所で適切な言葉を使うこと、 全ての局面で正しい一手を選ぶこと、 全ての適切な状況とタイミングでお客の要望に適切に応えること、 この目標はとてつもなく高い。 実際は不可能で、これが出来るようなら神人だ。 それに近付いただけで、 その分野では名手、名人、マエストロと呼ばれるだろう。 問題はその不可能な目標を持つことのできる意思だ。 そしてそのための一歩は、単にこの今、 レンズを下にして置かない、というだけのことなのだが…