Wednesday, January 09, 2008

閉じたリスト

8 時起床。今日は良い天気で、気温も高い。 珈琲を飲み、洗濯をしてから、出勤。 学生食堂で早めの昼食(鶏団子汁、だしまきの小鉢、炊きこみ御飯M) を取り、午後から事務仕事集中デー。 途中で院生が質問に来た以外は、ずっと仕事に集中していた。 今日出来る範囲は終わったので、その後はレポート採点。 レポートはメイルで約 250 通、紙でも同じくらいある。 16 時から学科会議。 会議の後は、研究室でもう少し雑誌記事の添削仕事をしてから帰る。 帰宅は 20 時くらい。

仕事上の問題の諸悪の根源は、反射的判断でもあろうが、 「リストが閉じていない」ことでもある。 仕事が増えてくると、誰しも "ToDo" リストを作る。 さらに、その優先順位をつけたりもする。 しかし大抵は、何の効果もないか、むしろ状況が悪化する。 いま、大きな籠に一杯のじゃが芋の皮を剥く、と言う仕事を考えよう。 大変な仕事だが、残りのじゃが芋は減っていくばかりだし、 気分が乗ってくればやりがいさえ感じられるだろう。 しかし、作業中に新たにじゃが芋が追加されるとしたらどうか。 しかも、ランダムな時間にランダムな個数がでたらめに追加される。 ようやく籠の中のじゃが芋を半分にしたと思ったら、 またどさっと追加される。ようやく底が見えてきたと思ったら、 また籠を一杯にされる。一つ剥いて籠を見ると、 一つ新たに追加される。また一つ剥くと、また一つ追加される。 ちょっと目を離すと、じゃが芋ではなくて、人参や玉葱が入っている。 こんなことが続いたら発狂してしまう。

しかしこれが通常の、「仕事が忙しい」状態に他ならない。 ストレスで一杯なのも、効率が悪いのも当然だ。 もちろん、じゃが芋をどう並べようが、どう優先順位をつけようが、 問題は解決しない。 問題の根源は籠が閉じていないこと、「リストが閉じていない」ことなのである。 そして、私が思うに、 有効なタイムマネジメントのアイデアは全て、 「リストが閉じた気にさせる」と言う共通点を持っている。 例えば、上のじゃが芋の例ならば、 新しい追加のじゃが芋は籠の中に入れさせず、床に放り出しておいて、 籠の中のじゃが芋を剥くことに集中する。 そして籠が空になったら、床のじゃが芋を好きなだけ籠の中に入れ、 その籠が空になるまでじゃが芋を剥く。 論理的に考えれば、これは単に見かけの違いだが、 人間は、そして特にその反射的判断は、論理的ではない。 昨日の「それは明日しよう」方式も、 このヴァリエーションに過ぎない。