Thursday, January 03, 2008

humility

9 時起床。今日もいい天気。 目覚しの珈琲。午前中は洗濯と掃除。 合間に、Gmail のショートカットキーを覚えたり、 Firefox のスキンを入れ替えたり、 壁紙をダ・ヴィンチのスケッチにしたり、 まあつまりは、新年を新しいデスクトップ環境で迎えよう、 と言う口実の下に、PC 周りのしょうもないことをする。 昼食はまたおせちの残りと、助六(つまり巻き寿司と稲荷鮨)。 午後は読書と、少し原稿書き。 夕食まで少しチェロを弾く。夕食はおせちの残りと煮麺。

この冬休みに T.Tharp の "The Creative Habit"と、 N.N.Taleb の "The Black Swan" を読んでいる。 両方とも必ずしも首肯できないところが多々あるが、 どちらも刺激的で面白い。 英語で読んでいるせいでなかなか進まないのだが、 両方とも小さなエピソード集めいた性格があって、丁度良い。 例えば、Tharp の方で今日読んでいたところには、 こんな逸話が出ていた。 芸術における「技術」についての章で、 芸術においてはパーソナリティも技術の一つである、と著者は言う。

著者が大学をサボってマンハッタンのスタジオでクラスを取っていた頃のこと、 ある日突然、かのマーゴット・フォンテインが着替え部屋にやって来た。 彼女はミンクのコートを着て、 いかにも "Grande Dame" と言う格好をしていたそうである。 ダンサーは皆、赤貧と決まっているので、 著者はそのオペラスターみたいな格好を目を丸くして見ていると、 彼女がそのコートを脱いだ。 毛皮のコートの下は黒のレオタードにピンクのタイツだけだったそうだ。 そして彼女がスタジオに入ると、 もちろんインストラクターは鏡の一番前に来るように手招きするし、 他のダンサーはみんな中央の場所を自然に空ける。 しかし、マーゴは絶対に前には行かず、 最後まで後列で練習を続けたそうである。 彼女の「技術」でもあり、彼女の最高の魅力の一つだったのは、 そうした身体に刻み込まれた "humility" のセンスであって、 偉大なダンサーは皆そういうものだと著者は後に学ぶことになったと言う。

実るほど頭を垂れる稲穂かな、では絶対にない。 彼女はスターとして振る舞うし、 練習着の上に毛皮のコートを着るようなあざとさもあるが、 スタジオの鏡の前では違う。 単に謙遜や礼儀の問題ではなくて、 自分がどこでどう振る舞うべきかについての、 センスの鋭さと自信の深さは、 身体に刻み込まれるまで訓練された一種の技術である、 と著者がみなしているところが面白い。