言葉の変遷
8 時起床。カーテンを開けると曇り空だが、 蒸し暑いことには変わりないようだ。 朝食代わりの珈琲。洗濯機に洗濯をまかせつつ、 プロジェクト "Kibitzer" の提出前最終チェック。 掃除機がけをしてから、洗濯ものを干す。 昼食は、御飯を炊いて、 買ってきてあった鱸の刺身を使って鱸丼を作り、 澄まし汁と一緒に食べる。午後も原稿のチェック。 音読よりやや遅いくらいのスピードでしか進められないので、 時間がかかる。夕方になって、 近所のワイン屋に注文していたものを受け取りに行く。 ついでにスーパーで少し買い物。 やはり外は大変な湿度。空気を絞るとお湯が出てきそう。 実際、家の近くまで来たところで、雨が降り始めた。 夕食にはオムライスを作って、まだ残っている冷製ラタトゥイユと。 赤ワインを一杯。食後に珈琲。 プロジェクト "Kibitzer" の原稿を編集者に送る。 自分で早めた締切より、二日早く提出。 これもまた一段落ついた。うまく出版の運びとなればよいのだが。
昨夜久しぶりに NHK のニュースを観ていたら、 アナウンサが「見れる」と言っているのを聞いて、ちょっと驚いた。 私の世代は「ら抜き言葉」を排撃する教育を受けたので、 いまだにかなり抵抗がある。 自分自身では絶対に使わないし、使ったこともないはずだし、 他の人が使っているのを聞くと少しひるむ。 しかし、この言葉はどんどんと広がって、 今やむしろ標準になっているようだ。 私の印象では、今の三十代の半ばくらいに境があって、 それより若いと誰も自然に「ら抜き言葉」を使っている。 実際、「ら抜き表現」には合理的な側面もあり、 極端に「ら抜き」を嫌うのは世代に特有のことかも知れない。 この問題には色々難しいことがあるようだが、 少なくとも私にとっては、 間違いとされていた表現がだんだんと広まり、標準的となり、 ついに支配的になるまでの変化が観察できそうだ、 と言うことが興味深い。
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