ロストロポーヴィチが亡くなったそうだ。
「偉大」とか「マエストロ」、と言う感じがするのは、
チェリストではロストロポーヴィチくらいまでかなあ。
あまり好きな演奏家ではなかったが、ちょっと感慨深い。
例えば私はバッハの無伴奏の演奏の中では、
チェロを習う前はフルニエが好きだった。
習ってからは、先生が古楽趣味に偏向していたので、
ビルスマとか鈴木が好きになった。
いずれにせよ、無伴奏を聴こうかな、と思うときに、
ロストロポーヴィチと言う選択は全く無かったと思う。
8 時起床。寝床で少し読書。
朝食は珈琲とチョコレート。
最近、体調がいまひとつなのは、この朝食がチョコレート、
って言うせいじゃないかなあ。
午前中は後回しにしていた手続を片付ける。
これまで全て執事任せだった公共料金などの支払いの切り替え。
電気、ガス、水道の公共料金を私の銀行口座からの自動振替にし、
家賃の支払いも設定した。自宅で全て簡単に設定完了。
インターネット・バンキング、万歳。ビバ、SSL。
昔、SSL の仕事をしていたときは、
こんな杜撰なプロトコルとシステムで世の中が納得するはずがない、
少なくとも銀行ではありえない、
と力説していたのだがなあ(反省)。
昼食には久しぶりに御飯を炊いて、だしも引き、
大根と若芽の味噌汁と、野菜の炒めものの一汁一菜。
朝は天気が良かったのに、
正午くらいから急に外が暗くなってきた。
時々、大粒の激しい雨が降る。
午後はトーナメント用のプレパレーションを少ししてから、
講義の予習もした。
夕方になって買い出し。
スーパーで食材を買い、タリーズで珈琲豆を買い、
ドラッグストアでシェイビング・フォームを買った。
夕食は、冷や御飯の残りを炒飯にして、
おかずはトマト卵炒め。
君はウー・ウェン先生のトマト卵炒めを知っているか。
(「大好きな炒めもの」(ウー・ウェン著/高橋書店)、参照)。
この前、天才プログラマ K さんとも話していたのだが、
このレシピが良く出来ている。
簡単に出来て、どう下手をしたところで美味しい。
ゴールデン・ウィーク企画。
Pandolfini "Every move must have a purpose" より、
もう一章だけ訳してみます。
二章くらいなら、翻訳権を持っている出版社も見逃してくれるだろう。
昨日のは結びの最終章だったので格調高い内容でしたが、
この本の他の章は大体、以下のような雰囲気だと言う例になると思います。
第15章 目標以上を目指すこと
ポイント: 努力からより多くを引き出し、後退を避けるには、全力で戦わなければならない
その頃のロサンジェルスはチェスではなくて、その酷い空気で有名だったのだが、
1963 年の夏の猛暑の中、世界最高のチェス・プレイヤーたちが国際グランドマスター
のトーナメント、第一回ピアチゴルスキー杯のために西海岸に集まっていた。
第四ラウンド、前ソ連チャンピオンのパウル・ケレス(1916-1975)が、そこまで無敗の
アイスランドのグランドマスター、フリデリク・オラフソン(1935-)とぶつかった。40 手ほどの
応手のあと、オラフソンはさらに一勝をあげつつあるかに見えた。その対局が指し掛け
になった時点で、オラフソンの残りの仕事は複雑なものには見えなかった。
ゆっくり休んで、いくつか鍵になるラインを分析して、明日会場にやってきて勝つだけ。
しかし、チェスでは予期しなかったことが起こってしまうものだ。オラフソンが
ぶらぶらと会場に戻ってくると、ケレスは全くのところ、こたえていなかった。
不屈のカウンターパンチを繰り出すことで有名だったこのロシア人は、
敵の足元に次から次へと障害物をしかけていった。ケレスは断固として、
執拗に、チェスで言うところの嫌な手を指し続け、ついにはオラフソンを完全に煙にまいてしまった。
混乱したアイスランド人は楽勝を逃がし、さらに悪いことに、既に局面は五分ですらなくなった。
そして、終盤戦の弩級の大格闘のあと、オラフソンは敗北した。これで流れは逆転し、
ケレスはその他の大事な対局に順調に勝って、当時の世界チャンピオン、
ティグラン・ペトロシアン(1929-1984)と同点で優勝を分けたのだった。
勝利の間際にいるプレイヤーは絶対に、その勝負が自然に勝てるものと
思ってはいけない。ドイツ人マスター、ジーグベルト・タラシュ(1862-1934)が説得力の
ある言葉を残している。「最も難しいのは、勝ち試合を勝つことだ」、と。
真の勝負師は、優勢を勝利に変換するために、見つけられる限り最高の
正確さを目指す。英雄的な反抗を想定し、完全な支配が決して
失なわれないよう、最後まで戦い続けるのだ。強いプレイヤーは常に、
本当に欲しいものを得るために必要な以上を目指して戦う。
そしてチャンピオンは負けつつあるときでも、何かチャンスが残されている
と感じる限りは、勝負を投げることはない。後塵を拝しているときでも、
すべてのチャンスで相手を引き止める。どんな機会でも、どんな可能性でも、
どんな小さな利益でも、相手が手にしたと思っている勝利をこちらのものに
逆転するために使える、ということを理解しているからだ。
ケレスは、負けることを拒否したから、勝ったのだ。
とは言え、それ以上を目指すことが純粋に無謀で、完全に不可能なときはどうするか?
確かに、合理的に考えて流石に勝利は期待できない、と言う時はある。
しかし、まだ全てが失なわれたわけではない。なぜなら、気持ちを切り替えて、
今度は「いかに負けないか」に集中することができるからだ。
つまり、チェスには「ドロー(引き分け)」と言うものがあり、いついかなる時でも、
ドローは完全な負けに打ち勝つ。
実際、ドローによって、優勢を全てそのまま保つことができるかも知れない。
ひょっとしたら、貴方を退けようとしている敵より前を走り続けられるかも知れない。
時にドローは敗北には決して出来ないことをやってのける。例えば、世界チャンピオンの
座を防衛することさえ。
まさにこのことが起こったのが、有名な 1914 年サンクトペテルスブルク大会の
全十回の第七ラウンド、世界チャンピオン、エマヌエル・ラスカーがホセ・ラウル・
キャパブランカと対局したときだった… (後半は明日に続く)。