ラスカーの謎2
午前中は講義の予習と、期末試験の作問。 昼食は納豆パスタ。 午後は京大の確率論関西セミナへ。 外に出ると、お湯の中を歩いているようなものすごい湿度。 今にも雨になりそうな曇りで、気温も高い。 セミナは O 大の H さんによる、 ランダム・ヤング図形の極限についてのサーベイ的な話。 直接の興味はないが、最近の動向が分かって良かった。 セミナのあと、買い出しなどをして帰宅。 自宅で夕食を作る。焼き茄子、鶏肝の生姜煮、素麺など。 また素麺だ。暑いと、どうしても御飯を炊く気がしない。
"Why Lasker Matters" (A.Soltis / Batsford Chess) が典型例として挙げているのが、次の盤面 (Ilyn-Genevsky-Lasker, Moscow 1925., "Why Lasker.." pp.273, Game87)。 白が 13. Nce2 (この本では "?!")と引いてクイーン交換を誘ったところ。 ここから黒のラスカーは長考の末に、何と 13. ... Qxa2。 この手が指された瞬間には、 当時の観客はこれをひどいポカだと考えたようだし、 対局相手もそう思ったらしい。 勿論、クイーンはトラップされて取られてしまう (14. Ra1 Qxb2 15. Rfb1 Qxb1+ 16. Rxb1)。 つまりラスカーは Q を B+R+P と交換したことになる。 この交換レート自体はそう悪くはないものの、 特に攻撃の狙いがあるでなし、 イニシアチヴが取れるわけでもない。 そもそも、13. ... Qxd2 としても黒は全く問題ない。 とにかく、ラスカーは勝った。 この手は、老練な勝負師ラスカーの「心理学的作戦」とされているようだ。 例えば、カスパロフの「我が偉大なる先人たち」 の第一巻 pp.221 の Game72 がこの局の分析だが、 黒の 13 手目に "!!" をつけているものの(白の 13 手目には "!")、 Vainstein による心理戦的な見解の引用をしているのみである (「ここでおそらくラスカーの心には次の考えが浮かんだのだろう: 昨日 Ilyn-Genevsky は同じくシシリアン定跡でキャパブランカにクイーンを捨てて勝った。 今度はこっちが同じことをしてやろう」)。 なお、カスパロフのラスカー評はおおむねボトヴィニクに従っている。 "Why Lasker.." の著者 Soltis は、 このようにラスカーの着手を安易に "psychology" に帰する傾向の主犯として、 レティの名前を挙げているが、 カスパロフ本までそうなのだから、この見方は支配的なのだろう。 しかし、Soltis が言うには、この手は現代から見れば全く妥当であり、 グランドマスター級なら数分で、 コンピュータなら瞬間に見つけるタイプの好手だろう、 実際、この一手は盤面の最善手だ、と。 私自身、シュタイニッツ、ラスカーと言った、 ロマン派から現代への流れをあまりに紋切り型に考えていたように思う。 やはり偉大な思想家は常に、一筋縄で捉えられる存在ではない。